平田東助 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正三位、勳一等 | |
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Title/ Family rank etc. | 子爵、舊米澤藩士 | |
Occupation | 法學博士,貴族院議員 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 嘉永二年三月二日 (1849) | |
Parent and relation | 伊藤昇迪の二男 | |
Family | 妻 たつ 文久三、五生、子爵品川彌一養姉 男 榮二 明一五、二生、從五位、東京美術學校出身 婦 靜子 明二二、八生、二男榮二妻、子爵前田利定妹 男 昇 明一八、一二生、正七位、海軍大尉 婦 友子 明二八、三生、三男昇妻、東京、平、鶴見守義三女、府立第二高等女學校出身 男 省三 明二一、七生、法學士 | |
Biography | 君は山形縣士族伊藤昇迪の二男にして醫學博士伊東祐彦工學博士伊東志太は君の甥なり嘉永二年三月二日を以て生れ安政三年二月平田亮伯の養子となり明治十一年十二月分家して一家を創立す弱冠にして露國及獨逸に留學し歸朝後大學南校大舍長となり同十一年大藏兼太政官少書記官に任せられ爾來三等檢査官大藏兼太政官大書記官參事院議官補兼參事院書記官法制局部長樞密院書記官長樞密顧問官法制局長官等に歷任し同二十三年貴族院議員に勅選せられ同三十四年農商務大臣となり同三十五年勳功により華族に列し男爵を授けらる後再ひ臺閣に列し内務大臣たりしか同四十四年挂冠するに先立ち子爵に陞爵せらる爾後立憲同志會の爲めに盡瘁せるは世人の知る所なり曩に内務大臣を辭するや特に大臣禮遇を賜ふ尚濟生會副會長たり 家族は前記の外孫克巳(明四三、一一生、二男榮二長男)同正治(大元、九生、同二男)あり 三女卯江(明二四、八生)は長崎縣士族長岡敏夫從弟隆一郞に嫁せり | |
Address phone | 東京、神田、駿河臺鈴木町一一 電話本局九二八 | |
Relative | 子爵品川彌一,子爵前田利定,伊東祐彦,伊東忠太,鶴見守義,長岡隆一郞,※侯爵前田利爲,※子爵前田利鬯,※山縣伊三郞,※中村精男 | |
Degree | 10 (except※6) | |
Pronounciation | ひらた とうすけ | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- First Edition [April 1903]
- 4th Edition [January 1915]