鶴見守義 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 栃木縣平民 | |
職業 | 判事、大審院判事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政五年三月十二日 (1858) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 釮千代 明四、一〇生、大阪、士、宮崎鐵幹三女 男 守雄 明二四、一二生、東京美術學校在學 | |
記述部分(略伝) | 君は舊幕臣鶴見時一の弟にして安政五年三月十二日を以て下野國日光に生れ明治二十年分れて一家を創む同九年法學生徒となり同十七年司法省法律學校を卒業して法律學士の稱號を得同十九年判事に任し大阪地方裁判所に勤む君在職中關西法律學校を創立して其講師たり爾來大阪地方裁判所部長長崎控訴院部長に歷補し同三十二年四月大審院判事に補せられ現に其職にあり 家族は前記の外二男義雄(明三二、一一生)三男清雄(同三五、一〇生)四男靜雄(同三五、一〇生)四女鶴子(同三七、五生)五男春雄(同四〇、四生)あり 長女チヨ(同二一、九生)は千葉縣平民判事法學士石渡譡に三女友子(同二八、三生)は子爵平田東助三男海軍大尉昇に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、辨天町一四四 | |
参照人物(親類) | 子爵平田東助 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | つるみ もりよし | |
別名 |