三島彌太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 貴族院議員、日本銀行總裁 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年四月一日 (1867) | |
親名・続柄 | 三島通庸の長男 | |
家族 | 母 わか 弘化二、六生、鹿兒島、士、柴山權介次女 妻 かね子 明六、八生、侯爵四條隆愛姉 男 通陽 明三〇、一生、學習院中學部在學 女 壽子 明三一、一生、學習院女學部在學 弟 彌彦 明一九、二生、法學士、橫濱正金銀行員 | |
記述部分(略伝) | 當家は舊鹿兒島藩士にして先代三島通庸より家名を揚く通庸明治二十年特旨を以て華族に列し子爵を授けられ二十一年逝く 君は其長男にして慶應三年四月一日を以て生れ明治二十一年家督を相續す夙に駒場農學校に入り同十七年九月米國留學を命せらる同十八年アムハースト農學校に入學し卒業後同二十一年歸朝す同二十二年四月再ひ米國に遊ひコーネル大學校大學院に入學し學士會員に選拔せらる又マスター、オブ、サイヱンスの學位を受く同二十五年歸朝後北海道廳技師に任し同三十年七月貴族院議員に當選す日露事件の功に依り勳四等に叙せらる又橫濱正金銀行取締役たりし事あり現時日本銀行總裁たり尚研究會の牛耳を執り其名政界に顯はる 家族は前記の外二男通隆(明三三、一生)二女梅子(同三五、一生)あり 妹その(同二、二生)は特命全權大使秋月左都夫に同みね(同三、一一生)は男爵牧野伸顯に同たけ(同六、三生)は貴族院議員日高榮三郞に同つる(同一一、八生)は伯爵日野資謙父資秀に同しげ(同一六、九生)は法學博士中村進午に嫁し弟彌吉(同一七、一二生)は東京府平民村井吉兵衛の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、豊多摩、千駄谷町大字千駄谷七六二 電話芝一八一 | |
参照人物(親類) | 侯爵四條隆愛、伯爵日野資謙、男爵牧野伸顯、日高榮三郞、中村進午、秋月左都夫、村井吉兵衛、※公爵一條實輝 | |
参照次数 | 8 (※なし7) | |
読み | みしま やたろう | |
別名 |