牧野伸顯 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 大臣禮遇、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久元年十月二十二日 (1861) | |
親名・続柄 | 大久保利通の二男 | |
家族 | 妻 みね 明三、一一生、子爵三島彌太郞妹 男 伸通 明二四、三生、從五位 女 利武子 明二九、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は贈正一位右大臣大久保利通公の二男にして侯爵大久保利和大久保利武大久保利賢は其の兄弟なり文久元年十月二十二日を以て生れ後東京府士族牧野吉之丞の養子となる明治十二年外務省に出仕し三等書記官となり倫敦に駐在し同十六年太政官權少書記官に任せられ爾來參事院議官補法制局參事官兵庫縣大書記官内閣總理大臣祕書官内閣記錄局長内閣官報局長等に歷任し同二十四年福井縣知事茨城縣知事たり同二十六年文部次官に榮轉し同三十年特命全權公使に親任せられ伊國に駐劄す同三十二年勳三等に同三十三年正四位に昇叙せられ尋て墺國駐劄公使として維納に駐劄し後文部大臣の職に就き同四十一年西園寺内閣の更迭と共に退き同四十二年樞密顧問官に任し後ち再内閣に列して農商務大臣となり大正二年の政變に際し更に外務大臣に任せられしか同内閣の瓦解と共に桂冠し尋て貴族院議員に勅任せられ現に其任にあり曩に日露事件の功に依り華族に列し男爵を授けらる 長女雪子(明二二、五生)は東京府平民吉田茂に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、千駄ケ谷町千駄ケ谷七六三 電話芝二九一〇 | |
参照人物(親類) | 侯爵大久保利和、子爵三島彌太郞、大久保利武、大久保利賢、※伯爵日野資謙、※日高榮三郞、※中村進午、※伊集院彦吉、※秋月左都夫、※村井吉兵衞 | |
参照次数 | 10 (※なし4) | |
読み | まきの のぶあき | |
別名 |