木戸孝正 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊山口藩士 | |
職業 | 宮中顧問官貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政四年七月二十六日 (1857) | |
親名・続柄 | 來原良藏の長男 | |
家族 | 妻 壽榮子 明四、五生、子爵山尾庸三長女 男 幸一 明二二、七生、從五位 男 小六 明二三、八生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先々代正二位勳一等孝允より顯はる孝允夙に勤王の大義を唱へ西鄕隆盛大久保利通等と共に籌策し薩長兩藩を聯合せしめ奔走斡旋明治維新の洪圖を賛せし後徵されて總裁局顧問となり明治四年歐米各國を巡遊し歸朝後大久保利通等と精勵治を圖り明治十年薨す弟正二郞其後を嗣き君其後を享く 君實は山口藩士來原良藏の長男にして安政四年七月二十六日を以て生れ幼名を彦太郞と稱す明治十七年一月入りて當家を嗣き同年七月先考の勳功に依り特に華族に列し侯爵を授けらる先是同三年米國に遊學し同七年歸朝翌八年開成學校に入り後東京大學理學部及大阪專門學校に學へり同十七年一月家督を相續し名を孝正と改む後主獵官東宮侍從長等に歷任し尋て宮中顧問官兼式部官に任し尚閑院宮別當を兼ねしか同四十三年兼官を免せらる 長女治子(明二四、八生)は山口縣人時乘鶴松に二女八重子(同二六、一一生)は伯爵兒玉秀雄弟常雄に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、新坂町六三 電話新橋一六六一 | |
参照人物(親類) | 伯爵兒玉秀雄、子爵山尾庸三、※伯爵廣澤金次郞、※男爵前島密 | |
参照次数 | 5 (※なし2) | |
読み | きど たかまさ | |
別名 | 彦太郞 |