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本多忠敬 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從三位、勳四等
爵位・身分・家柄子爵、舊三州岡崎藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日文久三年十月十四日 (1863)
親名・続柄 本多忠胤の長男
家族妻 芳子 明元、二生、伯爵眞田幸正養叔母
男 忠昭 明二六、八生、從五位
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足十一代の孫關白兼道の末なり後十二世を經て助秀に至り豐後本多に住し本多を以て氏とす十世を經て忠勝に至る忠勝姉川長篠小牧關ケ原等の役に勳功を樹て家康股肱の重臣たり忠勝より十五世の後忠直に至り三州岡崎に居城す
君は先代忠孝の孫にして忠胤の長男なり文久三年十月十四日を以て生れ先代忠直の養子となり明治十三年六月家督を相續し同十七年子爵を授けらる同三十一年式部官に任せられしも職を辭す後貴族院議員に互選せられ現に其職に在り曩に日霧事件の功に依り勳四等に叙せられ旭日小綬章を授けらる
家族は前記の外二男忠次(明二九、七生)あり
二女鷹子(同二一、三生)は子爵櫻井忠胤に三女艷子(同二二、三生)は東京府平民井上正詮に五女茂子(同二七、八生)は新潟縣平民佐藤光興に嫁し妹章子(同四、三生)は福岡縣士族清水彦五郞兄實佐喜に三男涉(同三四、一二生)は故子爵本多貞吉に各養子となり弟敏樹(同七、二生)は分家せり
住所・電話番号東京、北豐島、巢鴨町大字駒込妙義坂▲三 電話下谷一四六四
参照人物(親類)伯爵眞田幸正、子爵櫻井忠胤、子爵本多涉井上正詮佐藤光興、※子爵石川成秀
参照次数7 (※なし5)
読みほんだ ただたか
別名
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