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阪谷芳郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正四位、勳一等
爵位・身分・家柄男爵、舊岡山藩士
職業法學博士、東京市長
性別男性
生年月日文久三年一月十六日 (1863)
親名・続柄 阪谷素の四男
家族妻 〓と 明三、二生、男爵澁澤榮一二女
男 希一 明二二、五生、從五位、法學士
男 俊作 明二五、九生、第二高等學校在學
女 八重子 明二九、二生、お茶水高等女學校出身
女 千代子 明三一、七生、お茶水高等女學校在學
記述部分(略伝)君の父阪谷素は舊岡山藩の碩儒にして號を朗廬と云ふ漢學の造詣深く勤王の大義を唱へ備中後月郡に塾舍を設け興讓館と稱し有爲の青年を薰陶し明治維新に貢獻せし所尠からず當時天下の志士竸ふて其門に蝟集せりと云ふ君は其四男にして坂田實の從弟たり文久三年一月十六日を以て生れ明治二十年十一月分れて一家を創立す同十七年東京大學文學部を卒業し直ちに大藏省に入り爾來書記官主計局長總務長官及ひ次官等に歷任し同三十二年法學博士の學位を受け同三十九年大藏大臣に親任せられ同年特旨を以て華族に列し男爵を授けらる同四十年日露事件の功に依り勳一等旭日大綬章を賜はる同四十一年挂冠して野に下り同四十五年七月東京市長に擧けられ國勢調査會副會長を兼ぬ
家族は前記の外五女▲子(明三四、九生)あり
長女敏子(同二三、五生)は衆議院議員堀切善兵衛弟京都府理事官法學士堀切善次郞に二女和子(同二四、七生)は故束京女子高等師範學校長高嶺秀夫長男理學士高嶺俊夫に嫁せり
住所・電話番号東京、小石川、原町一二六 電話番町一二〇
参照人物(親類)男爵澁澤榮一坂田實堀切善兵衛、※穂積陳重、※尾高次郞、※大川平三郞、※明石照男、※星野錫
参照次数8 (※なし3)
読みさかたに よしお
別名
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