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犬養毅 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳一等
爵位・身分・家柄東京府在籍
職業前官禮遇、衆議院議員(岡山縣選出)
性別男性
生年月日安政二年四月 (1855)
親名・続柄 犬養源左衞門の二男
家族妻 千代 慶應元、九生、東京、三田仙之助姉
男 健 明二九、七生、創作家
婦 仲子 明三三、一生、男健妻、男爵長與立吉妹
女 信 明三八、一二生、双葉高等女學校出身
記述部分(略伝)君は岡山縣人犬養源左衞門の二男にして安政二年四月を以て生れ明治七年分家して一家を創立す幼にして森田月瀨の門に遊び長じて犬養松窻に就く明治十年東京に出でゝ藤田茂吉の知遇を得慶應義塾に學び業を卒へて報知社員となり西南の亂に通信員として名漸く現はる同十四年擢でられて統計院權少書記官に任ず大隈侯冠を挂くるに及びて連袂職を辭し再び報知社に入り立憲改進黨組織の事に從ふ後東京府會議員に選ばれ同十八年朝野新聞に入り更に轉じて尾崎行雄等と共に報知社に入る同二十三年選ばれて衆議院議員となり同三十一年憲政黨内閣成るに及び文部大臣に任ぜられ正三位に敍せらる幾もなく職を辭し憲政本黨總務委員として專ら黨務に鞅掌せしが後立憲國民黨創立の擧に參畫して其領袖となり大正二年桂内閣に反對して憲政擁護を唱へ全國を震撼す同十一年國民黨を解散して革新俱樂部を組織し同十二年第二次山本内閣に入りて遞信大臣となり同十三年加藤内閣成るや再び入りて遞信大臣となる後之れを辭し立憲政友會に入り現時衆議院議員たり特に前官の禮遇を賜はる
家族は尚孫道子(大一〇、四生、男健長女)あり
長女操(明一九、九生)は特命全權公使芳澤謙吉に嫁せり
住所・電話番号東京、四谷、南町八八 電四谷三〇〇
参照人物(親類)男爵長與立吉芳澤謙吉、※岩永祐吉、※齋藤博、※木佐木幸輔、※長與又郞、※平山金藏、※松方巖
参照次数8 (※なし2)
読みいぬかい つよき
別名
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