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安場末喜 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從三位、勳三等
爵位・身分・家柄男爵、東京府華族
職業貴族院議員、臺東製糖(株)社長、臺東開拓(株)取締役、岐阜電力、新竹製糖、大日本セルロイド、東亞印刷各(株)監査役
性別男性
生年月日安政五年五月 (1858)
親名・続柄 下津休也の五男
家族妻 トモ 文久元、一一生、養父保和長女、名古屋女子師範學校出身
男 保健 明二一、六生、正五位、東洋電氣製作所社員
婦 輝子 明二七、七生、長男保健妻、男爵田健治郞二女、學習院女學部出身
男 保雄 明二五、一〇生、海軍少佐
婦 サメ 明三三、一二生、二男保雄妻、海軍大將栃内曾次郞三女、東京女學館出身
男 保定 明三〇、六生、法學士、日本勸業銀行員
婦 久仁子 明三六、一生、三男保定妻、愛媛、士、小笠原菊次郞長女
男 保國 明三二、一一生、經濟學士、王子製紙會社員
記述部分(略伝)當家は先代保和より顯る保和は舊熊本藩士にして先覺橫井小楠に學び明治二年膽澤縣大參事に任じ爾來福島縣權令愛知縣令元老院議官參事院議官福岡愛知各縣知事北海道長官等に歷任し同二十九年勳功に依り華族に列し男爵を授けらる君其後を享く
君實は同藩士下津休也の五男にして安政五年五月を以て生れ先代保和の養子となり明治三十二年家督を相續し襲爵仰付けらる夙に慶應義塾に學び後製紙業硏究の爲米國に留學すること二囘歸朝後印刷局技師に任じ尋で東肥製紙會社技師長に聘せらる又臺灣總督府製紙事業取調事務を囑託せられ清國各地に出張す現時臺東製糖會社々長にして傍ら臺東開拓岐阜電力新竹製糖大日本セルロイド東亞印刷各會社の重役を兼ぬ曩に貴族院議員に互選せられ日獨事件の功に依り勳三等に敍し現に其任に在り
家族は尚孫登喜子(大四、一一生、長男保健長女)同美代子(同六、三生、同二女)同保雅(同一一、一二生、同二男)同元子(同一〇、二生、二男保雄長女)同保文(同一五、一生、同長男)同多嘉子(昭二、一生、三男保定長女)あり
長女ワキ(明一七、二生、女子學習院出身)は工學士富永敏麿に二女富美(同二八、六生、出身校同上)は醫學博士清野謙次に三女嘉智(同三六、四生、出身校同上)は法學士平野義太郞に嫁せり
住所・電話番号東京、麻布一本松町二四 電高輪六四六五
参照人物(親類)男爵田健治郞小笠原菊次郞清野謙次栃内曾次郞富永敏麿、※子爵山内豊健、※田篤、※内藤正太郞、※町田經宇
参照次数9 (※なし5)
読みやすば すえき
別名
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