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町田經宇 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳一等、功二級
爵位・身分・家柄鹿兒島縣士族
職業豫備陸軍大將
性別男性
生年月日慶應元年九月 (1865)
親名・続柄 井尻仲左衞門の二男
家族養母 つま 安政二、八生、東京、西村榮次郞養子
妻 ムメ 明二、九生、養父實一長女、華族女學校出身
男 襄治 明二六、一一生、正七位、法學士大使館三等書記官、伊國在勤
婦 雅子 明三六、八生、長男襄治妻、男爵田健治郞三女、女子學習院出身
男 敬二 明二九、八生、陸軍步兵大尉、步兵第三聯隊附
婦 ハナ 明三八、六生、二男敬二妻、宮崎士、堀口助治長女
記述部分(略伝)君は鹿兒島縣士族井尻仲左衞門の二男にして慶應元年九月を以て生れ先代實一の養子となり大正五年家督を相續す明治二十年陸軍士官學校を卒業し陸軍步兵少尉に任じ同二十六年陸軍大學校を卒業し大正十一年陸軍大將に累進す其間步兵第十旅團副官同第二十二聯隊中隊長參謀本部第一部々員露國駐在員佛國大使館附武官參謀本部課長步兵第四十八聯隊長第十五師團參謀長步兵第三十旅團長支那公使館附參謀本部第二部長第十一第四各師團長薩哈嗹洲派遣軍司令官軍事參議官等に歷補し大正十四年豫備役仰付らる明治二十七八年戰役の功に依り功五級金鵄勳章及勳六等寶瑞章を賜はり同三十七八年戰役に第四軍參謀として帷幄に參し其功により勳三等功三級に敍し旭日中綬章及金鵄勳章を賜ふ又大正三四年戰役の功に依り勳二等旭日重光章を授けらる
家族は尚孫清子(大一五、一一生、長男襄治長女)同絢子(昭二、二生、二男敬二長女)あり
二女勝子(明三八、三生)は男爵石本惠吉弟五雄に嫁せり
住所・電話番号東京市外品川町北品川宿一本木三三九 電高輪五二二七
参照人物(親類)男爵石本惠吉、男爵田健治郞、※男爵安場末喜、※田篤
参照次数4 (※なし2)
読みまちだ けいう
別名
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