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廣幡忠隆 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從四位、勳四等
爵位・身分・家柄侯爵、舊公卿家
職業貴族院議員、燈臺局長
性別男性
生年月日明治十七年十二月 (1884)
親名・続柄 廣幡忠朝の長男
家族妻 フミ 明二二、四生、男爵山本達雄二女
女 信子 大二、八生
記述部分(略伝)當家は後陽成天皇の同母弟二品智仁親王の男權中納言忠幸の後なり忠幸尾張大納言義直の養子となり後一家を興し源姓を賜ひ廣幡と稱し千石を領すそれより世々清華の一として六代を經從一位勳一等忠禮に至り明治十七年侯爵を授けらる先代忠朝は其長男にして陸軍騎兵大尉侍從たり
君は忠朝の長男にして明治十七年十二月を以て生れ同三十八年襲爵す同四十二年東京帝國大學法科大學佛法科を卒業して文官高等試驗に及第し同四十四年遞信管理局書記に任じそれより遞信局副事務官同書記官地方海員審判所審判官戰時船舶管理局書記官管船局書記官遞信書記官兼高等海員審判所審判官等に歷任し管船局監理課長たりしが昭和二年七月燈臺局長に任ぜらる其間伊國及英佛獨米に出張を命ぜられ又現に貴族院議員たり
家族は尚三女敦子(大七、一一生)弟忠良(明三六、一生)あり
妹朝子(同二三、一一生)は伯爵大谷光暢叔父瑩誠に同則子(同二四、一一生)は東京府人久松定志先代定省に同庸子(同二六、三生)は同府人色部庸男に嫁し弟忠康(同三一、七生、經濟學士)は伯爵兒玉秀雄に叔父重禮(同一六、九生)は栃木縣人橫尾勝右衞門に各養子となれり
住所・電話番号東京、麴町、下二番町七〇 電九段二一一
参照人物(親類)伯爵大谷光暢、伯爵兒玉秀雄、男爵山本達雄久松定志、※松村眞一郞
参照次数5 (※なし4)
読みひろはた ただたか
別名
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