古市公威 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 工學博士、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年七月十二日 (1854) | |
親名・続柄 | 古市孝の長男 | |
家族 | 母 せい 天保四年一月生兵庫縣士族種村又之助長女 妻 こう 萬延元年十二月生千葉縣平民川石近太郞長女 男 六三 明治十八年六月生 妹 らく 安政四年七月生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊姫路藩士古市孝の長男にして安政元年七月十二日生る維新後開成學校に入り大學南校に轉ず明治八年官命に依り佛國に航し巴里大學に入り卒業して十三年七月歸朝諸官を歷任して土木局長に任じ二十一年工學博士と爲り二十三年貴族院議員に勅選せらる 家族は前記の外男啓次(明治十九年三月生)同昇吉(同二十年四月生)同基助(同二十四年八月生)同周六(同二十五年八月生)女喜子(同二十三年八月生)同靜子(同二十八年十二月生)同和歌子(同三十一年九月生)あり 男保彦(同二十六年八月生)は栃木縣士族飯田英三養嗣子となれり | |
住所・電話番号 | 東京市本鄕區弓町二ノ三四 電話下谷一 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | ふるいち こうい | |
別名 |