松山陽太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 松山病院長、東京慈惠會醫院醫學專門學校教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治六年四月六日 (1873) | |
親名・続柄 | 松山棟庵の長男 | |
家族 | 父 棟庵 天保一〇、九生、現戸主 妻 ハツ 明一六、七生、熊本、平、辻太姉 男 龍一 明三五、三生 | |
記述部分(略伝) | 君は東京府平民松山棟庵の長男にして佐藤得四郞の兄なり明治六年四月六日を以て生る同二十四年東京慈惠醫院醫學校に入り同二十八年醫術開業試驗に合格せり同二十九年獨逸に航し專ら語學を修め伯林大學に入り解剖學を修め同三十年轉して「ストラスブルヒ」大學に移り内科學病理學及病理解剖の實地を研究し兼て産科婦人科外科生理化學眼科藥物學等一般の醫學を講習すること二箇年同三十一年論文を提出しドクトル試驗に及第して其學位を得同三十二年轉して「ウヱルツブルヒ」大學に入り次て維納獨逸諸大學を遊歷し遂に再ひ伯林に出て專ら内科を研究し同三十三年英佛を歷遊して歸朝爾來父の業を繼▲現に松山病院長として内科の診療に從事す | |
住所・電話番号 | 東京、芝、三田二ノ一四 電話芝六一六・二〇三七 | |
参照人物(親類) | 松山棟庵、佐藤得四郞、※男爵岩崎久彌、※本野英吉郞、※久保田勝美、※田中源太郞 | |
参照次数 | 6 (※なし2) | |
読み | まつやま ようたろう | |
別名 |