松平乘承 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊三州西尾城主 | |
職業 | 宗秩寮審議官、貴族院議員、日本赤十字社副社長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永四年十二月八日 (1851) | |
親名・続柄 | 松平來全の五男 | |
家族 | 男 乘統 明一六、一生、正五位、皇子傳育官 婦 總子 明二一、一生、次男乘統妻、子爵佐竹義種姉 女 慶子 明一一、三生 男 博 明二五、五生 弟 釗造 明三、七生 | |
記述部分(略伝) | 當家は右京亮親忠の二男加賀守乘元の後なり乘元始て三河國東加茂郡大給城に住し大給の松平と稱せり十一代和泉守乘佐同國幡豆郡西尾城に移封せられ世々傳領す 君は其後を受く實は松平來全の五男にして嘉永四年十二月八日を以て生る文久元年十一月先代來秩の養子と爲り明治六年家督を相續す同十年西南の役佐野常民大給恒等と共に博愛社の創立に從事し其幹事に擧けられ同十四年以降宮内省太政官等の御用掛を勤務し同十七年子爵を授けらる同二十年萬國赤十字社第四集會に參列の爲め歐洲に航し翌年歸朝同二十九年二月二十七八年事件の功により勳三等旭日中綬章を授けられ同二十四年赤十字社理事となり同三十九年四月日露事件の功により勳二等に叙せられ同四十三年八月宗秩寮審議官仰付られ大正二年一月日本赤十字社副社長に擧けらる又二十三年以來貴族院議員に當選すること四回嗣子乘統は明治四十年東京帝國大學文科大學を卒へ同大學史料編纂掛を囑托せられ爾來皇孫御用掛式部官等となり大正二年四月皇子傳育官に任せられ現に其職にあり 家族は前記の外孫源次郞(明四三、三生、次男乘統長男)孫義夫(同四四、五生、同次男)あり 二女愛子(同二〇、一二生)は子爵青山幸宜三男幸直に叔母ひで(嘉永三、六生)は子爵松平親信先代親貴に養妹鉋子(明元、八生)は子爵水野忠陽先代忠寶に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、富士見町六ノ四 電話番町四七三 | |
参照人物(親類) | 子爵松平親信、子爵水野忠陽、子爵佐竹義種、子爵青山幸宜、※子爵奥田直恭、※男爵佐竹義立 | |
参照次数 | 9 (※なし5) | |
読み | まつだいら のりつぐ | |
別名 |