松平乘承 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊三州西尾藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永四年十二月八日 (1851) | |
親名・続柄 | 松平乘全の五男 | |
家族 | 養母 錦 天保十二年三月生 叔父 釧造 明治三年七月生 叔母 鋠 慶應二年九月生 妻 昭子 嘉永六年八月生子爵大河内輝耕の叔母 男 源次郞 明治十六年一月生 女 慶子 明治十一年三月生 同 愛子 明治二十年十二月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は德川四郞義季の男從五位下三河守賴氏の後なり賴氏より十代を經て乘元に至り松平伊賀守と稱すそれより五代の孫和泉守乘家德川家康に仕へ上州那波の地一萬石を領す其子和泉守乘壽大阪の役に功あり遠州濱松に移され三萬五千石となり上州館林に轉じて六萬石を食む終に三州西尾に移されてより八代を經從五位乘秋に至り君其後を承く 君實は七代從四位下侍從和泉守乘全の第五男なり嘉永四年十二月八日を以て生る幼名を源次郞といふ文久元年十一月先代乘秋の養子となる乘秋は實の叔父なり慶應元年十二月左衞門佐に任じ明治六年七月家督を相續し權中講義に補し同十四年五月宮内省御用掛を同十七年七月子爵を授けられ太政官御用掛を同月修史局勤務となり同二十年五月歐洲を歷遊す同五月正五位に叙せられ同二十一年歸朝す同二十三年七月貴族院議員となり二十七八年戰役の際從軍して勳功あり勳三等旭日中綬章を授けらる同三十年七月再び貴族院議員に選ばれ正四位に叙せらる 家族は前記の外男博(明治二十五年五月生)あり 養妹鉋子(同元年八月生)は子爵水野忠寶に嫁す | |
住所・電話番号 | 東京市深川區龜住町六 | |
参照人物(親類) | 子爵大河内輝耕、子爵松平親信、子爵水野忠寶 | |
参照次数 | 3 | |
読み | まつだいら のりつぐ | |
別名 | 源次郞 |