水野忠陽 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊上總鶴卷藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十九年四月二十七日 (1896) | |
親名・続柄 | 水野忠寳の二男 | |
家族 | 母 鉋子 明元、八生、子爵松平乘承養妹 | |
記述部分(略伝) | 當家は六孫王經基の支裔水野又次郞の後胤隼人正忠清の四男周防守忠增の後なり忠增父の封邑を分與され分家して一家を創め夫れより五代を經て忠順に至り南總鶴卷一萬五千石を領す忠順の嗣忠寳從三位に叙せられ子爵を授けらる 君は其二男にして明治二十九年四月二十七日を以て生れ同四十一年一月家督を相續し襲爵仰付らる 姉豊子(明二三、三生)は東京府平民小川一眞長男一雄に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、本所、松井町一ノ二六 | |
参照人物(親類) | 子爵松平乘承、小川一眞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | みずの ただあき | |
別名 |