鹽谷恒太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 群馬縣士族 | |
職業 | 辯護士 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年五月二十九日 (1864) | |
親名・続柄 | 鹽谷良翰の長男 | |
家族 | 父 良翰 天保六、五生 妻 ます 明一〇、一〇生、東京、士、藤井善言二女 男 良彦 明二四、一一生 女 都滿子 明二六、五生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊上州館林藩士鹽谷良翰の長男にして元治元年五月二十九日を以て生る明治二十一年法科大學を卒業して法學士の稱號を得進んて大學院に入り在學一年餘後判事に任し橫濱地方裁判所に在りしか後東京地方裁判所に轉す同二十五年職を辭し辮護士となる 長女千代子(明二二、一二生)は東京府人山田昌邦二男武に妹じゆん(同三、九生)は同府人星野輝廉に養妹はる(同六、二生)は廣島縣人足立禮三養子大次郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、芝公園五ノ二 電話芝一七五〇 | |
参照人物(親類) | 山田昌邦 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | しおのや つねたろう | |
別名 |