English

日下部辨二郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正四位、勳三等
爵位・身分・家柄東京府士族
職業工學博士、東京市技師長
性別男性
生年月日文久元年二月三十日 (1861)
親名・続柄 巖谷修の二男
家族養父 東作 天保九、八生
養母 こと 弘化元、一二、生
妻 まちを 文久三、九生、養父東作二女
養子 金三郞 明九、八生、長女美香夫、山口、士、白井胤良三男、從七位法學士
女 美香 明一七、五生、養子金三郞妻
記述部分(略伝)君は滋賀縣士族巖谷修の二男にして巖谷季雄の實兄なり文久元年二月三十日を以て生れ明治十五年東京府士族日下部東作の養子となり同三十五年家督を相續す明治二年上京し育英義塾に英學を學ふ同七年開成學校に入り同十三年東京大學理學部を卒業して理學士の稱號を得内務省土木局に出仕し同十九年内務五等技師に任し後土木監督署長に補せらる同二十三年歐米巡回を命せられ同三十四年歸朝工學博士の學位を受け現時東京市技師長たり
家族は前記の外弟且三(明二九、七生)同環(同三一、一〇生)孫喜美(同四一、三生、養子金三郞長女)あり
養妹幸子(同三六、一生)は茨城縣平民松村修平の養子となれり
住所・電話番号東京、赤坂、青山南町五ノ五三 電話芝四〇七
参照人物(親類)松村修平巖谷季雄
参照次数2 (※なし2)
読みくさかべ べんじろう
別名
画像を表示