巖谷季雄 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 著述業 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年六月六日 (1870) | |
親名・続柄 | 巖谷修の三男 | |
家族 | 妻 ゆう 明一二、九生、滋賀、平、山村德次郞妹 男 三一 明三三、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は江州舊水口藩醫玄通の男巖谷修氏の三男にして工學博士日下部辨二郞▲弟なり明治三年六月六日を以て生る幼にして獨逸協會に學ぶ故尾崎紅葉等と硯友社を興し盛に歐文學を皷吹し博文館に入り御伽噺及小説を擔任し日本語教師として獨都伯林に聘せられ歸朝後博文館に入る小波山人の名天下に高し亡父修氏は一六と號し書家を以て著はる 家族は前記の外長女三四(明三六、八生)次女三八(同四〇、三生)二男榮二(同四二、九生)三男平三(同四五、三生)あり 養姉茂子(安政元、一二生)は男爵松木章彦に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、高輪南町五三 電話芝二三七七 | |
参照人物(親類) | 男爵松木章彦、日下部辨二郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | いわや すえお | |
別名 |