呉秀三 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 醫學博士、東京帝國大學醫科大學教授、東京府巢鴨病院長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年二月十七日 (1865) | |
親名・続柄 | 呉黃石の子 ** | |
家族 | 妻 光子 明一〇、六生、東京府人本多作三女東京音樂學校出身 男 茂一 明三〇、一二生、府立第四中學校在學 女 かつ 明二七、一一生、府立第二高等女學校出身 | |
記述部分(略伝) | 君は統計學者呉文聰の弟故洋學者箕作陸甫の外孫にして文學博士箕作元八理學博士男爵菊池大麓は其從兄弟なり慶應元年二月十七日を以て東京青山の藩邸に生る明治二十五年五月分れて一家を創立す同二十三年醫科大學を卒業し直ちに大學院に入り後醫科大學助手となり東京巢鴨病院醫員を兼ぬ同三十九年醫科大學助教授に任せられ翌年精神病學研究の爲め獨墺兩國に留學を命せらる同三十三年醫學博士の學位を受く同三十四年歸朝後東京帝國醫大學科大學教授に陞任し精神病學講座擔任を命せられ同年東京巢鴨病院醫長となり尋て數度改革により病院長となる精神病學の大家にして精神病學集要精神病學要略の著あり尚日本神經學會主幹藝備醫學會長萬國腦髓研究會維也納精神病學會各委員たり 家族は三女いくよ(明三五、一一生)四女芳江(同四四、一〇生)あり 長女たま(同二六、二生)は東京府士族三浦長幹に姉りき(安政五、一〇生)は同府平民日高秩父に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、湯島新花町四三 電話下谷五〇五〇 | |
参照人物(親類) | 男爵菊池大麓、日高秩父、箕作元八 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | くれ しゅうぞう | |
別名 |