巖谷季雄 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 臨時國語調査會委員、著述業 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年六月 (1870) | |
親名・続柄 | 巖谷修の三男 | |
家族 | 妻 ゆう 明一二、九生、滋賀、山村德次郞妹 男 三一 明三三、九生、劇作家 婦 美枝 明三八、一二生、東京、工藤角三郞二女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊江州水口藩醫玄通の男一六居士巖谷修の三男にして工學博士日下部辨二郞の弟なり明治三年六月を以て生れ同二十八年分家して一家を創立す獨逸學協會學校に學び又川田剛杉浦重剛の塾に在り尾崎紅葉川上眉山石橋思案等と硯友社を興し盛に文學を鼓吹す初京都日出新聞に在り後博文館に入り御伽噺少年少女各雜誌を擔任し小波山人の名天下に高し襲に日本語教師とし獨逸伯林大學に聘せられ大正十年臨時國語調査會委員仰付けらる亡父修は貴族院議員錦鷄間祗候にして書家を以て著聞せり 家族は尚二男榮二(同四二、九生)三男平三(同四五、三生)三女きのえ(大三、三生)四男大四(同四、一二生)あり 長女三四(明三六、八生、山脇高等女學校出身)は醫學士泉源吉に二女三八(同四〇、三生、同校出身)は農學士法學士橋口正哉に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、高輪南町五三 電高輪三二五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | いわや すえお | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]