中上川次郞吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 資産家 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十七年八月二十二日 (1884) | |
親名・続柄 | 中上川彦次郞の二男 | |
家族 | 母 かつ 文久三、八生、石川、士、江川常之助長女 妻 愛 明二七、九生、東京、士、福島行信妹、香蘭女學校出身 弟 三郞治 明一九、八生、慶應義塾出身 弟 鐵四郞 明二〇、八生、慶應義塾普通部出身 弟 勇五郞 明二三、二生、東京帝國大學法科大學生 弟 小六郞 明二七、七生、第一高等學校生 妹 銀 明三二、一〇生、學習院女學部在學 | |
記述部分(略伝) | 君は舊中津藩士故中上川彦次郞の二男にして明治十七年八月二十二日を以て生れ明治三十四年十一月兄太郞一の後を承けて家督を相續す曾て慶應義塾に學ひ王子製紙株式會社員たりしか近時之を罷め區内の資産家として知らる亡父彦次郞は明治二年出京し慶應義塾に入りて專ら英學を修む後ち宇和島藩立洋學校に聘せられて教鞭を執りしか幾何もなくして慶應義塾教師に轉し同七年故星亨等と共に英國に遊學す歸朝後外務省に出仕し外務省書記官に任し公信局長に補せらる後ち官を辭して操觚の業に從事したりしか山陽鐵道株式會社の創立せらるゝや君其社長として經營の衝に當り成績甚た良好にして其名漸く實業界に謳はるゝに至る後ち侯爵井上馨に知られ三井家に入り多年同家の柱石として同家の事業をして能く今日の振興を致さしめたり 妹ミチ(明二二、一生)は東京府平民日比谷平左衛門長男新次郞に叔母スミ(萬延元、二生)は大分縣平民朝吹英二に姉艷(明一五、四生)は山形縣士族池田成彬に妹アキ(同三〇、八生)は醫學博士宮下左右輔に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、永田町二ノ二九 電話新橋五八八 | |
参照人物(親類) | 日比谷新次郞、朝吹英二、池田成彬、宮下左右輔、福島行信、※山田爲榮、※藤山雷太 | |
参照次数 | 7 (※なし5) | |
読み | なかみがわ じろきち | |
別名 |