藤山雷太 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 大日本製糖株式會社、名古屋製糖株式會社各社長、東京株式取引所理事、東京印刷株式會社、日本火災保險株式會社、明治製煉株式會社各取締役、東京商業會議所議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年八月一日 (1863) | |
親名・続柄 | 藤山覺左衞門の三男 | |
家族 | 妻 みね 明九、二生、東京、士、江川常之助二女、神戸高等女學校出身 男 愛一郞 明三〇、五生、慶應義塾在學中 | |
記述部分(略伝) | 君は長崎縣士族藤山覺左衞門の三男にして文久三年八月一日を以て生れ明治二十四年十二月分れて一家を創立す夙に長崎縣師範學校を卒業して其教師たり又福澤諭吉の門に學ふ二十五歳にして長崎縣會議員に選はれ同議長に推され長崎居留地設置の事に付き政府と交渉の任に當り同市より五萬金を贈り其勞に酬ひらる後志を轉して實業界に入り三井銀行抵當係長となり尋て芝浦製作所長王子製紙株式會社取締役として之か經營に苦心し其功績見るへきものあり又東京鐵道株式會社の合同に盡力し其專務取締役に擧けられしか賃金區分制を唱へ雨宮敬次郞等と議合はすして退く甞て大日本製糖株式會社の殆んと倒産せるに際し其社長となり整理の任に當るや着々其効を奏し今や實業界の重鎭として知らる現時同社長外前記諸會社の重役及東京商業會議所常議員の任にあり 家族は前記の外庶子男元彦(明三八、一生、生母、田中たけ)二男勝彦(同三八、七生)三男照彦(同四一、二生)二女櫻子(同四三、一生)四男洋吉(大元、八生)あり 長女美譽(明二七、一一生、學習院女學部出身)は内閣書記官法學士下條康麿に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、白金今里町一四 電話芝一五四五 | |
参照人物(親類) | ※中上川次郞吉 | |
参照次数 | 1 | |
読み | ふじやま らいた | |
別名 |