山田爲榮 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 鹿兒島縣士族 | |
職業 | 日本勸業銀行文書課長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年三月二十四日 (1871) | |
親名・続柄 | 山田爲暄の長男 | |
家族 | 母 ナヲ 嘉永元、一〇生、東京、士、山田太兵衞二女 妻 トキ 明一二、一一生、東京、士、福島行信妹 養子 壯一郞 明四三、一生弟新次長男 弟 新次 明一一、六生 弟妻 ヒサ 明二三、三生、弟新次妻、鹿兒島、士、黑江英次養子 | |
記述部分(略伝) | 君は鹿兒島縣士族亡山田爲暄の長男なり父爲暄夙に官海に職を奉し明治七年蕃地事務都督府徵集兵第三小隊長に任し爾來兵庫縣警部長高知縣少書記官同書記官福岡大分各縣知事警視總監等に歷任し同三十七年貴族院議員に勅選せられ同四十四年卒す君其後を承く明治四年三月二十四日を以て生れ同三十二年東京帝國大學法科大學を卒業して法學士の稱號を得後日本勸業銀行に入り現に同行文書課長たり 家族は前記の外養妹トミ(明三六、二生、弟爲次長女)甥建次郞(同四五、三生、弟新次二男)同三次(大二、一一生、同三男)あり 弟爲次(明六、八生)は其妻モト(同一六、一二生、熊本縣人本多七郞姪)と共に分家し妹仲(同二三、七生)は大阪府平民〓川六郞長男永充に嫁し養姉かん(安政元、六生、父爲暄養子、兵庫、平、上村利右衞門三女)は男爵森岡彦の養母たり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、山元町三二 電話芝一二一二 | |
参照人物(親類) | 男爵森岡彦、福島行信 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | やまだ ためひで | |
別名 |