勘解由小路資承 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊公卿 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年九月十三日 (1860) | |
親名・続柄 | 勘解由小路光尚の長男 | |
家族 | 妻 豊子 明元、八生、伯爵副島道正姉 庶子男 光生 明二六、一一生、生母、東京、平、板倉つる | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足六代眞夏の裔光廣の第二子資忠の後なり資忠別に一家をなし勘解由小路と稱す夫より六世を經て資生に至る 君は其孫にして光尚の長子なり萬延元年九月十三日を以て生る明治二十六年一月父を喪ひ同年三月祖父の後を承け家督を相續す同元年六月兒祇候を仰付られ同四年十一月内豎に任し同五年宮内省出仕に同十六年裁判所書記に同二十年明宮祇候に同二十二年東宮侍從に歷任し後官を罷め四十四年貴族院議員に互選せられ現に其任に在り 二女好子(明二三、四生)は山口縣人松村令藏長男義一に庶子女康(同二二、九生、生母、板倉つる)は男爵川口武定四男武孝に伯母龍子(安政三、一〇生)は伯爵甘露寺義長に妹富久子(同一二、三生)は千葉縣平民石井千太郞に叔母直(慶應二、五生)は男爵川口武定に同秋子(嘉永六、九生)は子爵武者小路公共先代實正に同操子(明元、七生)は伯爵烏丸光大先代光亨に嫁せり | |
住所・電話番号 | 神奈川、三浦、南下浦村金田 | |
参照人物(親類) | 伯爵副島道正、伯爵甘露寺義長、伯爵烏丸光大、子爵武者小路公共、男爵川口武定 | |
参照次数 | 6 (※なし5) | |
読み | かでのこうじ すけこと | |
別名 |