副島道正 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊佐賀藩士 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年十月十四日 (1871) | |
親名・続柄 | 副島種臣の三男 | |
家族 | 母 正子 安政元、一二生、岐阜、士、松島謙助長女 妻 ミネ 明九、七生、奈良、平、北幾太郞二女 男 種忠 明三四、八生 | |
記述部分(略伝) | 常家は先代副島種臣より著はる種臣維新の際勤王の大義を唱へ畫策する所尠なからす明治二年參議となり同四年樺太境界談判の爲め露國に赴き敏腕以て事局の難を拯ふ同年外務卿に任せられ同六年征韓論起るや西鄕等と共に掛冠して野に下る其後特命全權公使として清國に赴き同國皇帝をして親しく外臣に謁見せしむるの例を開かしむ功を以て伯爵を授けらる 君は其三男にして明治四年十月十四日を以て生る明治三十八年一月父の逝去に依りて家督を相續し襲爵仰付らる 家族は前記の外二女孝子(明三五、八生)三女順子(同三六、一一生)四女道子(同三八、三生)三男種義(同四一、五生)四男種經(同四三、一生)五男種典(大元、一二生)あり 姉豐子(明元、八生)は子爵勘解由小路資承に妹鑑子(同二二、六生)は男爵周布兼道に養叔母美津子(同九、一二生)は子爵千種有秀先代有梁に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、表町三ノ四 電話新橋二六九六 | |
参照人物(親類) | 子爵千種有秀、子爵勘解由小路資承、男爵周布兼道 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | そえじま みちまさ | |
別名 |