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本多忠敬 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正四位
爵位・身分・家柄子爵、舊三州岡崎藩主
職業式部官
性別男性
生年月日文久三年十月十四日 (1863)
親名・続柄 本多忠胤の子
家族父 忠胤 文政十三年八月生
妻 芳子 明治元年二月生伯爵眞田幸民妹
弟 敏樹 明治七年二月生
男 忠昭 明治二十六年八月生
女 鷹子 明治二十一年三月生
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足十一代の孫關白兼道の末なり後十二世を經て助秀に至りて豐後本田に住するを以て本姓とす夫より十代を經て忠勝に至る忠勝は德川家康の勇臣なり更に十五世を隔てゝ忠直に至る三州岡崎の城主たり
君は先々代忠考の孫にして其後を襲ぐ文久三年十月十四日を以て生る同十三年家督相續し同十七年子爵を授けられ同卅一年式部官に任ぜらる
弟賢壽麿(慶應三年十一月生)は別戸し
女艶子(明治廿二年三月生)同茂子(同二十七年八月生)同とみ子(同三十年七月生)男忠次(同二十九年七月生)同渉(同三十四年十二月生)は家に在り
叔母操善院(天保五年三月生)は故本多勝行に嫁せり
住所・電話番号東京府北豐島郡巢鴨町駒込妙義坂下四 電話本局一四六四
参照人物(親類)伯爵眞田幸民、子爵木多忠政
参照次数3
読みほんだ ただたか
別名