島津長丸 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊宮地藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年九月十八日 (1871) | |
親名・続柄 | 島津久治の長男 | |
家族 | 妻 ハル 明一一、七生、男爵島津壯之助妹 男 忠丸 大二、一〇生 女 庶子 明三〇、六生 女 泰子 明三二、二生 | |
記述部分(略伝) | 當家は修理太夫島津貴久の子忠良の後なり忠良豐臣秀吉征韓の兩役に從ふて功あり宮地一萬七千石を食み代々宗家を輔けて國政を執り圖書久治に至る久治は從一位大勳位久光の二男なり夙に勤王の志厚く元治年中藩主の命を受け自ら兵馬を督して禁闕を警衞し長州の脱兵を擊退して功を奏し戊辰の役軍資を自辨して兵を東北に出し軍功顯著なるものあり 君は其長男にして公爵島津忠濟の甥なり明治四年九月十八日を以て生れ同五年一月家督を相續す三十年十月華族に列し男爵を授けらる 家族は前記の外四女鄕子(明三四、一〇生)五女澄子(同三八、四生)あり | |
住所・電話番号 | 鹿兒島市春日小路町 | |
参照人物(親類) | 公爵島津忠濟、男爵島津壯之助、※男爵島津忠欽、※男爵岩崎小彌太、※男爵大村武純 | |
参照次数 | 5 (※なし2) | |
読み | しまづ ながまる | |
別名 |