島津忠欽 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、公爵島津家分家 | |
職業 | 株式會社鹿兒島貯蓄銀行取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化二年十一月二十二日 (1845) | |
親名・続柄 | 島津久光の四男 | |
家族 | 婦 アキ 明二、九生、亡長男雄五郞妻、男爵島津壯之助姉 孫 忠夫 明二三、八生、亡長男雄五郞長男、從五位 孫妻 せつ 明二六、三生、孫忠夫妻、故男爵島津久明姪 孫 文子 明三二、八生、亡長男雄五郞二女 | |
記述部分(略伝) | 當家は島津豐後守久忠十五代修理大夫義久の後裔にして島津家の分家なり 君は故從一位島津久光の四男にして公爵島津忠濟の兄なり弘化二年十一月二十二日を以て生る明治二十九年特旨を以て男爵を授けられ同三十年一月家督を二男隼彦に讓り分れて一家を創立す安政以來父久光兄忠義に從ひ王事に盡瘁する所あり維新後專ら地方殖産の事業に從事す甞て貴族院議員に選はれ又株式會社鹿兒島貯蓄銀行取締役に推され現に其任にあり 家族は尚孫久篤(明二九、一一生、亡長男雄五郞二男)同綾子(同三七、五生、同四女)あり 四女鶴(同一三、六生)は男爵島津壯之助に五女時子(同一四、七生)は子爵牧野弼成長男一成に孫市(同二六、一生、亡長五男雄郞長女)は鹿兒島縣士族黑岡帶刀長男忠雄に嫁せり | |
住所・電話番号 | 鹿兒島市上龍尾町 | |
参照人物(親類) | 公爵島津忠濟、子爵牧野弼成、男爵島津壯之助、男爵島津隼彦、黑岡帶刀、※公爵近衞文麿、※男爵島津長丸、※男爵岩崎小彌太、※男爵大村武純 | |
参照次数 | 9 (※なし5) | |
読み | しまづ ただかた | |
別名 |