宮下左右輔 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 醫學博士、東京帝國大學醫學部講師、宮下眼科醫院長、醫師 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十五年八月 (1882) | |
親名・続柄 | 宮下俊吉の長男 | |
家族 | 妻 アキ 明三〇、八生、東京、士、中上川次郞吉妹、學習院女學部出身 | |
記述部分(略伝) | 當家は元群馬縣利根郡に定住せる舊家なり祖父愼堂下總佐倉に出でて醫學を修め海軍々醫中監に陞る父俊吉は兵庫縣出身にして當家に入り帝國大學醫學部卒業後獨逸に遊びて眼科學を硏鑽し我眼科醫界に重きを成せり 君は其長男にして明治十五年八月を以て生れ同三十四年家督を相續す同三十九年東京帝國大學醫科大學を卒業し同四十一年眼科學硏究の爲め獨逸瑞西に留學す歸朝後東京帝國大學醫科大學講師三井慈善病院眼科醫長大阪府立高等醫學校教授府立大阪醫科大學教授兼同大學附屬醫院眼科醫長等に歷任し大正十二年辭職上京眼科醫院を開きて一般の診療に從事し今日に至り眼科界に顯はる先是大正元年醫學博士の學位を授けられ同十三年再び東京帝國大學講師を囑託さる 家族は尚長女彩子(大四、八生)二女和子(同七、一生)及び弟俊男(明三一、一生)あり 妹八千代(同二二、一一生、東京女學館出身)は大阪府士族外交官菊池義郞に同百合子(同二四、八生、出身校同上)は實業家若尾謹之助弟鐵之助に嫁し弟千里(同一九、七生、陸軍步兵中尉)は同府人清水きくの入夫となれり | |
住所・電話番号 | 東京、京橋、因幡町七 電京橋六五八 | |
参照人物(親類) | 菊池義郞、中上川次郞吉、若尾鐵之助、※池田成彬、※中上川三郞治 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | みやした そうすけ | |
別名 |