粟津清亮 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 千葉縣士族 | |
職業 | 法學博士、日本傷害保險株式會社々長、日本動産火災保險株式會社取締役、東邦火災保險株式會社監査役、愛國生命保險株式會社、徵兵保險株式會社各顧問 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年四月二十日 (1871) | |
親名・続柄 | 淺田忠八の長男 | |
家族 | 養父 清爲 弘化二、正生 養母 ヒデ 弘化三、正生、京都、平、淺田嘉吉長女 妻 小松 明二一、四生醫學博士大澤謙二二女 男 清隆 大二、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府平民淺田忠八の長男にして明治四年四月二十日を以て京都に生る舊名を德次郞と稱し同二十五年三月先代清爲の養子となり同二十六年三月今の名に改む明治二十七年帝國大學法科大學を卒業し法學土の號を得直に大學院に入り保險學を專攻し後法學博士の學位を授けらる明治二十七年十月農商務省より囑託せられ保險事項調査に從事する事四年後之を辭して有隣生命保險株式會社に入り取締役支配人に擧けられ同社經營に盡す事四ケ年其間歐米諸國を巡歷して保險の學理と實際を硏究し同社を辭して後專ら身を學事に委ね傍ら諸保險會社の學理顧問を囑託せられ又保險學會を主事して保險雜誌の發行に任し現に前揭諸保險會社顧問取締役監査役等の要職に在り尚我國傷害保險創始の必要を唱道し目下日本傷害保險株式會壯の社長たり曩に三十六年全國保險業者を代表して紐育開設萬國保險會議に臨めり其著保險論集保險法保險學綱要生命保險代理者保險判例集生死論日本保險法論等あり本邦有數の保險學者として知らる 家族は前記の外長女萬里子(明三五、九生)あり | |
住所・電話番号 | 神奈川、高座、茅ケ崎町 | |
参照人物(親類) | 大澤謙二、※廣田精一、※松永安彦 | |
参照次数 | 3 (※なし1) | |
読み | あわつ きよすけ | |
別名 | 德次郞 |