加納久宜 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊上總國一の宮藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年三月十九日 (1848) | |
親名・続柄 | 式部種道の子 * | |
家族 | 妻 鎰子 萬延元年九月生千葉縣士族原三䕃次女 男 久郞 明治十九年八月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の末裔加納久通の後なり久通德川氏に仕へそれより六代久恒に至る世々一の宮藩主たり 君は其後にして實は子爵立花種恭の弟なり嘉永元年三月十九日を以て生る慶應三年先代久恒の養子となり其封を襲ぎ同二年六月一の宮藩知事に以降文部省八等出仕盛岡師範學校長判事補檢事控訴院檢事鹿兒島縣知事等に歷任同二十三年七月貴族院議員に選ばる同三十年七月正四位に同三十三年六月勳三等に叙せらる 家族は前記の外男久憲(明治二十二年一月生)女國(同二十三年三月生)同八重(二十四年八月生)同治(同二十五年八月生)同夏(同二十六年九月生)あり 女仲子(同十七年一月生)は長野縣平民武田三郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 千葉縣長生郡一ノ宮木鄕村 | |
参照人物(親類) | 子爵立花種恭、子爵大河内正倫 | |
参照次数 | 2 | |
読み | かのう ひさよし | |
別名 |