立花種恭 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊筑後三池藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保七年二月二十八日 (1836) | |
親名・続柄 | 式部種道の子 | |
家族 | 養母 延子 文政二年十二月生子爵亡岩城隆喜女 妻 辰子 弘化四年三月生子爵牧野弼成叔母 男 種政 明治七年一月生 婦 理子 明治十三年七月生男種政妻伯爵立花寬治女 男 恭忠 明治十三年一月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は源經基八世の孫賴朝の男能直十三世の裔立花鑑連の男直次の後なり直次德川氏に仕へ筑國三池の地一萬石を食むそれより七世を經て正種に至り君其の後を繼ぐ 君實は式部種道の男なり天保七年二月二十八日を以て江戸に生る幼名を鐘之助と稱す嘉永元年十一月先代種溫養子となり其跡を嗣ぐ文久三年十一月外國事務係を明治元年五月鎭撫使を命ぜられ同二年六月三池藩知事に任じ同九年十一月華族學校長となり同十七年五月宮内省御用掛を同年七月華族局勤務を仰付られ同二十二年七月爵位局主事に任じ同二十三年七月貴族院議員に當選し同三十年七月滿期再び同議員となる嘉永五年十二月從五位下より明治二十六年三月從三位に昇叙せられ同十七年七月子爵を授けらる 家族は前記の外孫喜子(明治三十四年十月生)あり 弟久宜(嘉永元年三月生)は子爵加納家を相續し女敬子(明治五年九月生)は子爵渡邊寬綱に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京府豐多摩郡澁谷村大字下澁谷三一九 | |
参照人物(親類) | 子爵岩城隆長、子爵牧野弼成、伯爵立花寬治、子爵渡邊寬綱、子爵加納久宜 | |
参照次数 | 5 | |
読み | たちばな たねゆき | |
別名 | 鐘之助 |