大山巖 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳一等、功二級 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵 | |
職業 | 元師陸軍大將、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十三年十月十日 (1842) | |
親名・続柄 | 大山彦八の二男 | |
家族 | 妻 捨松 萬延元年一月生青森縣士族山川浩妹 女 久子 明治十七年十一月生 男 高 明治十九年二月生 女 永 明治二十年十二月生 | |
記述部分(略伝) | 君は鹿兒島縣士族大山彦八の二男にして天保十三年十月十日を以て生る明治維新の際大に國事に盡瘁す戊辰の役西鄕南洲の部下に屬し軍功あり後歐洲に遊び瑞西に兵學を研究し居ること數年歸朝後陸軍少將に任ぜらる十年西南之役官軍の參謀として參畫謀議する處極めて多く亂平ぎて勳功調査委員に任じ軍功に依り陸軍中將に進む同十四年山縣有明と共に建議して砲臺を富津猿島箱崎夏島に築き觀音崎と相對し以て東京灣の守備を嚴にせんことを建策し其功に依り華族に列し特に伯爵を授けらる後明治二十七八年日清戰爭に第二軍々團長として征途に上り連戰連勝す平和克復後其勳功に依り功二級に叙し金鵄勳章を賜ひ特に陞して侯爵を授けられ三十一年元師府に列し元帥の稱號を賜ふ貴族院議員たり 女芙蓉子(明治十三年八月生)は男爵細川潤次郞長男一之助に同留子(同十五年七月生)は男爵渡邊千秋男渡邊千春に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京府豐多摩郡千駄ケ谷▲大字穩田九 電話新橋一二一一 | |
参照人物(親類) | 男爵細川潤次郞、山川健二郞、男爵渡邊千秋 | |
参照次数 | 4 | |
読み | おおやま いわお | |
別名 |