大谷光尊 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵 | |
職業 | 本願寺住職同寺派管長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年二月四日 (1850) | |
親名・続柄 | 大谷光澤の六男 | |
家族 | 妻 枝子 安政五年九月生伯爵大谷光瑩妹 男 光瑞 明治九年十二月生 母 壽照 文政九年二月生京都府士族故岡田榮柄女 女 武子 明治二十年十月生 婦 籌子 明治十五年十一月生光瑞妻公爵九條道孝女 | |
記述部分(略伝) | 當家は親鸞上人の後裔にして第八世兼壽(蓮如上人)に至る兼壽は希世の高僧なり遷化後勅して惠燈大師と謚す其れより三世を經て光佐(顯如上人)に至り大僧正となる光佐の子光壽(教如上人)は東本願寺の祖となり季子光昭(准如上人)其後を承ぐ更に八世を經て光澤(廣如上人に至る 君(明如上人)は卽ち其第六子なり嘉永三年二月四日を以て京師に生る維新の際勅旨を奉じ東奔西走國事に盡力する事尠からず明治三年大僧正に任じ同五年權少教正に同年六月大教正に補し同十七年九月本願寺派管長たることを認可せらる明治六年從五位より同三十一年四月從二位に陞叙せらる 家族は前記の外男惇麿(明治十八年四月生)同德麿(同十九年八月生)女義子(同三十年三月生)あり 男尊行(同十四年四月生)は男爵木邊淳慈養嗣子となり現に其戸主たり女文子(十同年十二月生)は男爵常盤井堯凞養子鶴松に嫁せり | |
住所・電話番号 | 京都市下京區堀川通花屋町南入 | |
参照人物(親類) | 公爵九條道孝、伯爵大谷光瑩、男爵木邊孝慈、男爵常盤井堯凞 | |
参照次数 | 4 | |
読み | おおたに こうそん | |
別名 |