近衞篤麿 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 公爵、舊公卿 | |
職業 | 貴族院議長學習院長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年六月廿六日 (1863) | |
親名・続柄 | 近衞忠凞の九男 | |
家族 | 母 光子 弘化二年五月生公爵島津久濟姉 妻 貞子 明治四年六月生侯爵前田利爲姉 男 文麿 明治二十四年十月生 養妹 尊覺 明治十年四月生子爵平松時厚四女 同 秀山 明治五年十一月生華族清岡長範孫 養女 高尊 明治二十年十月生男爵鶴殿家勝姉 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足十七世の孫忠通の男關白基實の後なり基實の曾孫兼經始めて近衞家と稱すそれより十五世にして稙家に至る其子前久書を能くす其末孫尚嗣より八代を經て忠房に至る 君は其弟にして實は先々代忠凞の九男なり文久三年六月廿六日京都に生れ同九年家督を相續す同十一年澳國に留學を命ぜられ獨國「ライプチヒ」大學より「ドクトル、ユリス、ウトリウヌクエーノ」の學位を受けて同二十三年歸朝同二十八年學習院長同二十九年貴族院議長に任ぜられ現に其職に在り 家族は前記の外女武子(明治卅一年二月生)男秀麿(同卅一年十一月生)同直麿(同卅三年八月生)同忠麿(同卅五年八月生)あり 甥堯猷(同五年三月生)は男爵常磐井堯凞養子となり妹のぶ(嘉永元年十二月生)は伯爵津輕承昭に妹泰子(慶應三年九月生)は公爵德川家達に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京府豐多摩郡落合村大字下落合四一七 電話番町四二 | |
参照人物(親類) | 公爵德川家達、公爵島津忠濟、子爵平松時厚、侯爵前田利爲、男爵鶴殿家勝、男爵常磐井堯凞、伯爵津輕承昭、男爵水谷川忠起 | |
参照次数 | 8 | |
読み | このえ あつまろ | |
別名 |