中御門經隆 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊公卿 | |
職業 | 後備海軍大尉、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永五年二月二十九日 (1852) | |
親名・続柄 | 中御門經之の三男 ** | |
家族 | 母 富子 文政六年六月生子爵堀河護麿大叔母 妻 恭子 慶應元年五月生公爵岩倉具定妹 男 經民 明治二十六年五月生 女 瓏子 明治十五年三月生 同 澄子 明治十六年十一月生 同 敬子 明治十八年七月生 養女 文子 明治二十二年十二月生男爵安藤直行三女 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の裔中御門經房の後にして侯爵家の別家とす 君は嘉永五年二月二十九日を以て生る幼名を寬麿といふ明治元年二月英國に留學し歸朝の後海軍中尉となり後大尉に任じ兵學校監事佐世保海兵團分隊長橫須賀鎭守府海兵團分隊長等に歷任し同二十六年五月豫備仰付られ商船學校助教となり同三十二年後備仰付らる同十年七月從七位に同二十八年六月從四位に叙し同年十二月勳五等瑞寶章を賜ひ同三十二年一月貴族院議員となる 家族は前記の外女佐保子(明治二十四年一月生)あり 男經恭(同二十一年十月生)は侯爵故中御門經之の後を續ぎ姉良子(天保十三年三月生)は經恭と共に侯爵家にあり姉美雄子(安政四年三月生)は子爵新莊直陳に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市赤阪區臺町一七 | |
参照人物(親類) | 子爵新莊直陳、侯爵中御門經恭、公爵岩倉具定、子爵堀河護麿、男爵安藤直行 | |
参照次数 | 5 | |
読み | なかみかど つねたか | |
別名 | 寬麿 |