中山孝麿 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊公卿 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永五年十二月三日 (1853) | |
親名・続柄 | 中山忠能の子 | |
家族 | 祖母 愛子 文化十四年十一月生伯爵園基祥人叔母 男 忠顯 明治十四年七月生 女 正子 明治十八年十月生 叔父 公憲 天保十四年三月生 叔母 慶子 天保六年十一月生 同 榮子 嘉永元年二月生 弟 滿麿 慶應三年七月生 妹 種子 安政五年五月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の裔中山正二位内大臣忠親の後なり忠親より二十一代忠能に至る 君は其後にして實は忠能の男忠愛の子にして孫に當れり嘉永五年十二月三日を以て京都に生る明治七年十月從五位に敘せられ同十四年六月以來東京府日本橋區長同麴町區長宮内省書記官明宮勤務長東宮侍從長等に歷任し同二十三年七月貴族院議員に選ばれ同二十八年二月東宮大夫に任じ同三十年七月貴族院議員に再選せられ同三十三年五月勳二等瑞實章を賜ふ 家族は前記の外男光久(明治二十三年一生)同尚親(同二十四年五月生)同輔親(同二十七年十一月生)同敬親(同三十三年六月生)女幸子(同二十七年九月生)同德子(同三十年四月生)從妹龜子(同二十五年三月生)あり 男棄彦(同十一年七月生)は東京府士族今城定德の養子となり女妙子(同二十六年十月生)は東京府士族河村春司の養女となり叔母奈加(慶應元年五月生)は侯爵嵯峨公勝に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市麴町區有樂町一ノ三 電話本局一四四七 | |
参照人物(親類) | 伯爵園基祥、伯爵正親町實正、侯爵嵯峨公勝 | |
参照次数 | 4 | |
読み | なかやま たかまろ | |
別名 |