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清浦奎吾 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正二位、勳一等
爵位・身分・家柄子爵、熊本縣華族
職業前官禮遇、日本新聞協會、軍人後援會、書道作振會各會長、全國實業教育會長
性別男性
生年月日嘉永三年二月 (1850)
親名・続柄 大久保了恩の五男
家族妻 鍊 安政五、二生、養父秀達長女
男 保恒 明一六、一一生
男 末雄 明三一、二生
婦 さた 明三九、八生、八男末雄妻、青森、野村治三郞二女
記述部分(略伝)君は熊本縣來民町明照寺住職大久保了恩の五男にして嘉永三年二月を以て生れ還俗して舊熊本藩士先代秀達の養子となり明治十一年家督を相續す夙に漢學を廣瀨淡窓に學び同六年埼玉縣十四等出仕より身を起し檢事に擧げられ爾來内務書記官同大書記官警保局長貴族院議員司法次官等に歷任し同二十九年司法大臣に親任せらる後其職を襲ふこと二囘又農商務大臣兼内務大臣となり同三十五年勳功に依り華族に列し子爵を授けらる次で樞密顧問官に任じ久しく同院副議長たりしが故山縣公の後を襲いで議長に陞任し大正十三年一月内閣を組織し總理大臣に擧げられしが同年六月總選擧の結果其職を辭し爾來閑地に在り同十五年老軀を提げて支那各地を漫遊す
四男敬吉(明一九、一二生)五男豐秋(同二一、八生)六男恒通(同二四、三生)七男保直(同二七、二生)は各分家し養子靜(同一〇、八生、熊本、服部義圓妹)は長野縣士族小河滋次郞に同崎(同一六、六生、熊本、河野通熈妹)は東京府士族宇都宮貫一弟友枝に嫁せり
住所・電話番号東京市外入新井町新井宿二二一一 電高輪五三〇〇
参照人物(親類)清浦保恒野村治三郞、※諸井恒平
参照次数3 (※なし2)
読みきようら けいご
別名
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