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岡實 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正四位、勳一等
爵位・身分・家柄奈良縣在籍
職業法學博士、大阪每日新聞社(株)取締役、東京日日新聞編輯主幹
性別男性
生年月日明治六年九月 (1873)
親名・続柄 岡義抄の長男
家族妻 マサ 明一三、一一生、東京、佐々木勇之助長女
男 義武 明三五、一〇生、法學士、東京帝國大學法學部助手
女 孝子 明四〇、二生、東京女子大學在學
女 信子 明四四、一〇生、聖心女子學院在學
記述部分(略伝)君は若州小濱出身岡義抄の長男にして明治六年九月を以て生れ大正三年家督を相續す明治三十一年東京帝國大學法科大學政治科を卒業して法制局參事官に任ぜられ次で農商務省參事官工務局長商務局長兼工務局長等を歷任し大正二年商工局長に任ぜられしが同七年内閣更迭に際し官を辭す同年講和大使に加はり勞働條約創定及通商條約改正に關する委員として平和會議に列し翌八年ワシントンに於ける國際勞働會議に我政府代表として列席し同十年國際聯盟經濟封鎖に關する帝國代表委員として佛國並に瑞西に出張す先是經濟調査の爲め南洋支那歐米等に出張する事數次大正七年法學博士の學位を受け同九年功に依り正四位勳一等に陞敍せらる在官の間産業組合法工場法簡易保險法の制定等我國社會政策立法に寄與する處尠なからず又行政法論綱工場法論南米調査書及其他の諸著述あり大正十一年大阪每日新聞東京日日新聞顧問に聘せられ昭和二年同社取締役に擧げられ東京日日新聞主幹たり
家族は尚二男義忠(明四三、二生、成蹊高等學校在學)あり
長女文世(同三七、八生、東京女子大學出身)は愛媛縣人岸駿弟法學士喜二雄に嫁し三男義逹(大一〇、五生)は伯母久米ムメの家名を繼ぎ弟遐(明九、二生)は分家せり
住所・電話番号東京、芝、白金三光町二七六 電高輪五五四五
参照人物(親類)岡遐佐々木勇之助、※佐々木脩次郞、※鈴木重道、※關原忠三、※立石信郞
参照次数6 (※なし2)
読みおか みのる
別名
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