Japanese

大谷嘉兵衞 (8th Edition [July 1928] )

Rank/ Honors/ Grade正五位、勳三等
Title/ Family rank etc.神奈川縣在籍
Occupation神奈川縣多額納税者,日本紅茶製造,日本製茶,常磐生命保險各(株)社長,橫濱興信銀行,帝國海上運送火災保險各(株)監査役,三共,川俣電氣各(株)相談役,橫濱貿易協會々頭,茶業組合中央會議所名譽顧問,日本赤十字社監事,大谷商會主
Gender男性
Birthday弘化元年十二月 (1845)
Parent and relation 大谷市兵衞の四男
Family孫 嘉一 明三二、一一生、亡養子幸之助長男
孫 清 明四〇、五生、亡養子幸之助二女
Biography君は三重縣人大谷市兵衞の四男にして弘化元年十二月を以て生れ慶應元年分れて一家を創立す文久二年橫濱に出で製茶貿易に從事し同志と圖り製茶會社を興し大に斯業に盡瘁す明治十四年第七十四國立銀行の悲運に際し取締役に就任社運を挽回し後頭取に擧げらる同十七年茶業組合中央會議所を創設し尋で議長に又會頭に推され同二十七年日本製茶會社を創立し同社長に就任す尚橫濱茶業組合長橫濱市會議員同議長神奈川縣會議員同市部會議長等に選ばれ同三十年橫濱商業會議所會頭に擧げられ同職に在る事前後二十ケ年に及ぶ同三十二年米國費府に開かれたる第一回萬國商業大會に日本代表として列席し太平洋海底電線敷設の急務及米國輸入茶關税の廢止を提唱し且是が實行運動をなし遂に其目的を貫徹す尋で歐米各國支那臺灣等を巡遊し商工業を視察し實業界に貢献する處尠なからず同四十年貴族院議員に互選せられ又橫灣港設備委員橫濱水道局長等に擧げられ其他各種の公共事業に功績多く勳三等に叙し正五位を賜ふ曩に多年日本勸業銀行日本興業銀行臺灣銀行等の重役を兼ね現時前記の諸職に在り尚明治二十六年以來橫濱市教育會長同三十年以降橫濱奬兵義會々長等に推され今日に至る
養子金藏(文久三、一一生、神奈川、谷川源助三男)同勝造(安政三、一〇生、同二男)は各其妻子を伴ひ分家し庶子嘉枝(明四一、五生、生母、神奈川、谷ヨネ)同嘉久(同四四、六生、生母同上)も亦各分家し養子政次郞(同一六、一生、神奈川、磯部吉之助弟)は神奈川縣人安部幸之助先代幸兵衞の養子となり同もと(同一七、七生、愛知、大鹿重三郞二女)は同縣人箕田定吉に同つゑ(同二二、九生、三重、岡本正三妹)は同縣人矢向彌助に孫ヨシ(同二四、一生、分家養子勝造長女)は同縣人大谷幸兵衞五男達藏に同光子(同三八、八生、亡養子幸之助長女)は三重縣人堀内鶴雄二男恭次郞に嫁せり
Address phone橫濱、中、元濱町二ノ一五 電本局一一五
Relative堀内鶴雄
Degree1 (except※1)
Pronounciationおおや かへえ
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