大谷嘉兵衞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 神奈川縣平民 | |
職業 | 製茶賣込商、株式會社橫濱七十四銀行頭取、株式會社橫濱貯蓄銀行頭取、東京火災保險株式會社取締役、日本製茶株式會社長、實業各團體聯合會監督、日本關東茶業會本部長、株式會社橫濱貿易銀行相談役、臺灣銀行監査役、橫濱市茶業組合副取締、橫濱市茶業組合會議所會頭、日本貿易協會副委員長、農商工高等會議員、帝國海上運送保險株式會社監査役、臨時博覽會評議員、橫濱商業會議所會頭、株式會社日本勸業銀行監査役、日本薄荷株式會社相談役、東京建物株式會社相談役、株式會社イントル、ナシヨナル、ヲイル、コンパニー取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化元年十二月二十二日 (1845) | |
親名・続柄 | 大谷市兵衞の四男 | |
家族 | 妻 ゑい 嘉永四年二月生神奈川縣平民谷川源介長女 養嗣子 幸之助 明治十年七月生會社員大谷幸兵衞長男 婦 增 明治十三年八月生養嗣子幸之助妻神奈川縣平民渡邊福三郞二女 | |
記述部分(略伝) | 君は神奈川縣平民大谷市兵衞の四男なり弘化元年十二月二十二日を以て生る慶應元年分家す文久二年橫濱に出でゝ製茶貿易に從事し勤勉具に辛酸を舐む明治十四年第七十四國立銀行頭取に推され由來橫濱茶業組合を起し其の組長となり又橫濱教育會長に推さる或は臺灣及び清國各地等を巡視し又米國費府大博覽會等へ參列して見聞を研き我實業界に貢獻したること少なからざるは普く人の知るところなり猶ほ現今前記諸會社の重役たり 家族は尚ほ孫嘉一(明治三十二年十一月生養嗣子幸之助男)あり 養子金藏(文久三年十一月生神奈川縣平民故谷川源助三男)は其妻きわ(慶應三年九月生神奈川縣平民佐久間高義二女)を携へて分家し養子勝造(安政三年十月生神奈川縣平民故谷川源助二男)も同じく分家せり | |
住所・電話番号 | 橫濱市元濱町二ノ一五 電話一一五 | |
参照人物(親類) | 大谷幸兵衞、大谷金藏 | |
参照次数 | 3 | |
読み | おおや かへえ | |
別名 |