大谷嘉兵衛 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 神奈川縣平民 | |
職業 | 神奈川縣多額納税者、日本製茶株式會社々長、株式會社橫濱七十四銀行、株式會社橫濱貯蓄銀行各取締役頭取、東京火災保險株式會社、橫濱電線製造株式會社、常盤生命保險株式會社、相摸水力電氣株式會社各取締役、株式會社臺灣銀行、帝國海上運送火災保險株式會社、株式會社日本勸業銀行各監査役、東京建物株式會社株式會社鎌倉銀行、株式會社橫濱貿易銀行、日本粉膠株式會社各相談役、株式會社黑須銀行顧問、橫濱商業會議所會頭、製茶蠶絲海産物貿易商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化元年十二月二十三日 (1845) | |
親名・続柄 | 大谷市兵衛の四男 | |
家族 | 養子 幸之助 明一〇、七生、神奈川、平、大谷幸兵衛長男、橫濱製鋼株式會社、三共株式會社各監査役 婦 增 明一三、八生、養子幸之助妻、神奈川、平、渡邊福三郞二女 | |
記述部分(略伝) | 君は三重縣平民大谷市兵衛の四男にして弘化元年十二月二十三日を以て生れ慶應元年三月分家して一家を創立す文久二年初めて橫濱に出て製茶貿易業に從事し同業有志者と圖り製茶會社を設け大に斯業に盡瘁す明治十四年第七十四國立銀行の非運に際し取締役に擧けられて社運を挽回し信用を復活せしめ後其頭取に推さる同二十年橫濱茶業組合を組織し其組長となれり此年海防費金二千圓を獻納して黃綬褒章を賜はる尋て橫濱市會議員に選はれ後同議長に擧けらる同二十六年橫濱市教育會長に推薦せられ同二十七年日本製茶株式會社を組織し其社長となる日清戰役に際し軍資金六千圓を獻納し同二十九年巴里萬國大博覽會開設に當り臨時博覽會事務局評議員被仰付勳五等に叙し瑞寳章を賜はる後ち橫濱商業會議所會頭橫濱港灣調査委員橫濱奬兵義會々長等に推薦せらる三十一年神奈川縣會市部會議長に再選す尋て農工業視察として臺灣清國各地を巡遊し歸朝後再ひ歐洲各國の商工業を視察し三十三年二月歸朝す甞て貴族院議員に擧けらる現今前記諸會社の重役たり 家族は前記の外孫嘉一(明三二、一一生、養子幸之助長男)同光子(同三八、八生、同長女)同清(同四〇、五生同二女)あり 孫ヨシ(同二四、一生、養子勝造長女)は神奈川縣平民大谷幸兵衛五男達藏に養子もと(同一七、七生、愛知、平、大鹿重三郞二女)は同縣平民箕田定吉に同つゑ(同二二、九生、三重、平、岡本正三妹)は同縣平民矢間彌助に嫁し同政次郞(同一六、一生、神奈川、平、磯部吉之助弟)は同縣平民安部幸兵衛の養子となり養子金藏(文久三、一一生、神奈川、平、谷川源助三男)は其妻さわ(慶應三、九生、神奈川、平、佐久間亮義三女)及ひ其子と共に同勝造(安政三、一〇生、神奈川、平、谷川利助弟)は其妻なを(萬延元、四生、三重、平、岡本惣吉姉)及ひ其子と共に各分家せり | |
住所・電話番号 | 橫濱、元濱町二ノ一五 電話長一一五 | |
参照人物(親類) | 渡邊福三郞、大谷金藏、安部幸兵衛、※小原達明 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | おおたに かひょうえ | |
別名 |