大川平三郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 埼玉縣左籍 | |
職業 | 貴族院議員、武州銀行、武州貯蓄銀行各(株)頭取、日本鋼管、樺太工業、城東電氣軌道、東海鋼業、大島製鋼所、富士製紙、熊本電氣軌道、靜岡電氣鐵道、八代製紙、上毛電力、朝鮮鐵道各(株)社長、鴨綠江製紙(株)副社長、東京灣埋立(株)專務取締役、東洋汽船、日本醋酸製造、淺野セメント、大瀧鑛山、仁壽生命保險、東京金網、大日本自轉車、日本コンクリート工業、日本加工製紙、日支炭礦汽船、大阪ホテル、日本フエルト、帝國人造肥料、東京地下鐵道、鳳城炭礦、北海道電燈、朝鮮採炭、西武鐵道、登帆炭礦、北電興業、伏木板紙、鹿兒島電氣、共同パルプ、熊本電氣、樺太鐵道、沿海州木材、樺太製紙原料、日出紡織、朝鮮土地改良、石川島飛行機製作所、鶴見臨港鐵道、上毛電氣鐵道、共同洋紙、東京電力、日本ヒユームコンクリート、鹿本鐵道、金福鐵路公司、橘樹水道、日本石綿スレート、富士川電力各(株)取締役、朝鮮鐵道、京濱運河、朝鮮電氣興業各(株)監査役、淺野スレート、服部製作所、粕川電力、武州瓦斯、大阪石綿工業、龍東材木、大榮商會、京都殖産各(株)相談役、大川田中事務所(資)取締役、大川(名)代表社員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久元年十月 (1861) | |
親名・続柄 | 大川脩三の二男 | |
家族 | 男 義雄 明三三、七生、樺太工業(株)取締役 婦 時 明三六、一二生、長男義雄妻、東京、大村五左衞門二女、東京女學館出身 養子 鐵雄 明三〇、七生、埼玉、尾高豐作弟 婦 喜美 明三四、四生、養子鐵雄妻、東京、宏達彌妹、東京女學館出身 | |
記述部分(略伝) | 君は舊川越藩士大川脩三の二男にして同英太郞の弟田中榮八郞の兄子爵澁澤榮一の甥なり文久元年十月を以て生れ先代榮助の養子となり明治十八年家督を相續す夙に米國に留學し現時前揭各銀行會社の重役にして實業界に重きを成す又本邦製紙界の功勞者として名あり昭和三年貴族院議員に任ぜらる 家族は尚孫英雄(大一〇、一一生、養子鐵雄長男)同勝雄(同一二、三生、同二男)同誠子(同一三、七生、同長女)同壽美(同一五、一二生、同二女)同光子(同一五、五生、長男義雄長女)あり 二女タカ子(明三七、一生)は東京府人田邊文之助弟武次に三女てい(同三九、六生)は廣島縣人迫本五郞吉長男實に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外瀧野川町中里三六七 電小石川七〇八 | |
参照人物(親類) | 子爵澁澤榮一、尾高豐作、大川英太郞、大村五左衞門、田中榮八郞、田邊文之助、※男爵萬里小路元秀、※大塚久右衞門、※大村彦一郞、※金杉英五郞、※越野三藏、※永田甚之助、※原萬一郞、※深井吉兵衞、※渡干城 | |
参照次数 | 17 (※なし7) | |
読み | おおかわ へいざぶろう | |
別名 |