田中榮八郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府在籍 | |
職業 | 大日本人造肥料、服部製作所、鳳城炭礦、朝鮮採炭、日本フエルト、日本硫肥各(株)社長、上毛製紙、中央製紙、樺太汽船、上毛電力各(株)副社長、樺太工業(株)專務取締役、大川田中事務所、九州製紙、大瀧鑛山、東京金網、東海鋼業、富士川電力、大日本自轉車、日本コンクリート工業、熊本電氣軌道、共同バルブ、日本加工製紙、大島製鋼所、南太平洋興業、加藤商事、硫酸販賣、日出紡績、帝國人造肥料、日本硫黃、日本鋼管、北海道電燈、富士製紙、靜岡電力、靜岡電氣鐵道、淺野セメント、樺太鐵道、樺太製紙原料、臺灣肥料、秋田電氣、南部鐵道各(株)取締役、帝國蓄電池、中之島製紙、函館水電、鴨綠江製紙、日支炭礦汽船、東洋汽船各(株)監査役、關西硫酸販賣(株)相談役、仁壽生命保險(株)評議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久三年八月 (1863) | |
親名・続柄 | 大川脩三の三男 | |
家族 | 妻 うめ 慶應二、正生、養父平右衞門長女 男 壽一 明二七、一二生、東京高等工業學校出身、大成化學工業(株)取締役 | |
記述部分(略伝) | 君は舊川越藩士大川脩三の三男にして大川平三郞同英太郞の弟なり文久三年八月を以て生れ先代いねの養子となり明治二十五年家督を相續す曩に外國商館員として勤務せしが同二十九年福原有信等と謀り關東酸曹會社を起し推されて專務取締役となり澁澤子爵の知遇を受け後各種事業に關係して現時大日本人造肥料服部製作所鳳城炭礦朝鮮採炭日本フヱルト日本硫肥各會社社長外前揭諸會社の重役として知らる 家族は尚三男愼三郞(明四四、一一生)あり 長女榮子(同二一、七生)は東京府人藤田好三郞に二女三保子(同三〇、三生、跡見女學校出身)は同府人田邊文之助に三女糸子(同三三、三生、御茶の水高等女學校出身)は男爵萬里小路元秀に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、根津宮永町三六 電下谷七五八 | |
参照人物(親類) | 男爵萬里小路元秀、大川英太郞、大川平三郞、田邊文之助、藤田好三郞、※越野三藏 | |
参照次数 | 6 (※なし5) | |
読み | たなか えいはちろう | |
別名 |