稻畑勝太郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正六位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 京都府在籍 | |
職業 | 貴族院議員、大阪商工會議所會頭、ポーランド大阪駐在領事、ベルギー大阪駐在領事、ルーマニア總領事、ボリビア大阪駐在領事、ポルトガル京都駐在副領事、稻畑商店、日本染料製造各(株)社長、日本麥酒鑛泉(株)取締役、富國徵兵保險(互)取締役、京濱土地、島津製作所、大阪ホテル各(株)監査役、稻畑染工場(資)代表社員、大正貿易(名)代表社員、日露貿易協會、日土貿易協會、大阪出品人協會各會長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年十月 (1862) | |
親名・続柄 | 稻畑利介の長男 | |
家族 | 妻 トミ 明元、九生、東京、士、森重遠三女、東京音樂學校出身 男 太郞 明三一、五生、稻畑商店(株)取締役、東京高等商業學校出身 婦 玉子 明三九、九生、長男太郞妻、子爵東胤祿二女 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府人稻畑利介の長男にして文久二年十月を以て生れ明治三十六年分家して一家を創立す明治十年京都府師範學校に在學中同府より選ばれて佛國に留學し同國里昂工藝學校同里昂大學に學び歐洲各國の化學工業工場を視察す歸朝後京都府御用掛京都染色講習所教授京都織物會社技師長等に擧げられ同二十四年之を辭し稻畑商店及稻畑染工場を設立し後ち軍隊用カーキ色染を創案し功により大正六年綠綬褒章を授けらる現時ルーマニア國其他四ケ國の日本駐在領事を囑託せられ又前記諸會社の重役として關西實業界に重きを爲し擧げられて大阪商工會議所會頭の任に在り同十一年勳三等に叙し曩に貴族院議員に勅選せらる 家族は尚孫勝雄(大一五、一生、長男太郞長男)あり 長女きく(明二六、一一生)は分家し東京府人今井二郞を迎へ二女鞠子(同二八、一一生)は京都府人理學士松本虎吉に嫁せり | |
住所・電話番号 | 大阪、南、順慶町二ノ五一 電船場二九 | |
参照人物(親類) | 子爵東胤祿、稻畑二郞、※伊澤勝麿 | |
参照次数 | 4 (※なし2) | |
読み | いなばた かつたろう | |
別名 |