稻畑勝太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 京都府平民 | |
職業 | 大阪染色同業組合組長、大阪商業會議所副會頭、瓦斯マントル製造株式會社專務取締役、毛斯綸紡績株式會社取締役、合資會社稻畑染工塲業務執行社員、大正貿易合名會社社員、染料藥品商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年十月三十日 (1862) | |
親名・続柄 | 稻畑利助の長男 | |
家族 | 妻 トミ 明元、七生、東京、士、森重遠三女 男 太郞 明三一、五生 女 鞠子 明二八、一一生 女 芳子 明三三、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府平民稻畑利助の長男にして文久二年十月三十日を以て生れ明治三十六年一月分家して一家を創立す明治十年京都府立師範學校を卒業し同年京都府より選れて佛國留學を命せられ同國里昂工藝學校及里昂大學に學ひて化學士の稱號を受く其間化學博士マルナース氏の染色工塲に入りて染色法を研究し又和蘭國アムステルダム府萬國博覽會開設に際し京都府出品者總代となり傍ら同國の化學工業を視察し更に英獨伊白瑞各國の諸工塲を視察す同十七年歸朝京都府御用掛を命せらる同十九年京都染織講習所を開設して教授の任に當り同二十一年京都織物株式會社の技師長となる同二十九年稻畑工塲を設立し軍隊用カーキ色染を創染して軍隊被服染色業者中唯一の工塲を以て目せられ功に依り賞勳局總裁より褒狀を賜はる方今は同工塲業務執行社員たるの外前記諸會社の重役たり又大阪商業會議所副會頭に選ばる同二十九年安南國王より星龍四級勳章を贈られ同三十三年佛國巴里萬國大博覽會の審査官たりし功に依り同國政府より「オフユシヱ、レンストリユクレシヨン、ピユブリツク」記章を贈られ其他我邦博覽會共進會等の審査員を囑托せられ賞金賞品を受けたること尠からす現今居住地に本店を有するの外東京及支那天津營口に支店を有す | |
住所・電話番号 | 大阪、南、順慶町二丁目 電話南二二六二、二八〇六 京都、上京、南禪寺町 電話上三五九七 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | いなばた かつたろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]