山川健次郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | 理學博士、樞密顧問官、東京九州各帝國大學名譽教授、宗秩寮審議官、武藏高等學校長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年七月 (1854) | |
親名・続柄 | 山川尚江の二男 | |
家族 | 男 洵 明一六、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊會津藩士山川尚江の二男にして故男爵山川浩の弟故公爵夫人大山捨松の兄なり安政元年七月を以て生れ明治二十五年分家して一家を創立す同二年上京して英學せ修め同四年工學修業の爲め普國に留學を命ぜられしが途次米國留學を命ぜられエール大學に入り在留五年バチエラー・オブ・ノイロソフイーの學位を受けて歸朝す爾來開成學校教授東京大學理學部教授帝國大學理科大學教授同理科大學長を經て東京帝國大學總長に陞任し理學博士の學位を受く同三十七年貴族院議員に勅選せられ高等教育會議副議長に推され帝國學士院會員に選任せらる九州帝國大學の創設せらるゝや同大學總長の任に就き再び東京帝國大學總長に轉じ京都帝國大學總長を兼任し大正四年勳功に依り華族に列し男爵を授けらる現時樞密顧問官にして又東京九州各帝國大學名譽教授に擧げられ學界の耆宿たり 二女さよ(明二一、八生)は工學博士寺野寬二に三女照子(同三一、九生、御茶の水高等女學校出身)は大阪府人東藤九郞長男醫學博士龍太郞に嫁し三男憲(同二三、一一生)は分家し四男建(同二五、一〇生、法學士)は故男爵山川廉の死跡を相續せり | |
住所・電話番号 | 東京市外西巢鴨町池袋一〇〇 電大塚五六 | |
参照人物(親類) | 男爵山川建、寺野寬二、山川洵、※石塚英藏 | |
参照次数 | 4 (※なし3) | |
読み | やまかわ けんじろう | |
別名 |