陸奧廣吉 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳三等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 伯爵、神奈川縣華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年三月 (1869) | |
親名・続柄 | 陸奧宗光の長男 | |
家族 | 妻 イソ 明元、五生、英國人ガイ・パツシングハム姉 男 陽之助 明四〇、一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代宗光より顯る宗光は舊和歌山藩士にして維新の際國事に奔走し明治元年擧げられて外國事務局御用掛被仰付累進して元老院幹事となりしも國事に坐して投獄し後赦されて歐洲に遊び歸朝後辨理公使駐米特命全權公使農商務大臣に歷任し第一期衆議院議員に當選す尋で樞密顧問官外務大臣に歷任し同二十七年條約改正の功に依り華族に列し子爵を授けられ同二十八年下關條約締結の功に依り伯爵に陞さる 君は其長男にして明治二年三月を以て生れ同三十年襲爵す先之同二十年英國に留學し同二十六年倫敦法學院を卒業しパリストルの學位を受け歸朝後外務省飜譯官に任ぜらる同二十八年外交官試驗に合格し爾來外交官若くは領事官として北京華盛頓桑港羅馬倫敦等に在勤し英國在勤中日英博覽會事務官を兼ぬ大正三年特命全權公使に陞り白耳義駐劄を命ぜられたるも病の爲め退官し閑地に在り | |
住所・電話番号 | 神奈川、鎌倉、鎌倉町亂橋材木座一一三三 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | むつ ひろきち | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]