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平山成信 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正二位、勳一等
爵位・身分・家柄男爵、東京府華族
職業樞密顧問官維新史料編纂會委員、日本赤十字社長、帝國女子專門學校長、日本高等女學校長、靜修女學校長、靜岡育英會長
性別男性
生年月日安政元年十一月 (1854)
親名・続柄 竹村七左衞門の子
家族妻 タケ 慶應三、一二生、男爵鍋島陸郞姉
男 洋三郞 明三三、六生、從五位、法學士
婦 榮 明三八、四生、三男洋三郞妻、醫學博士三宅鑛一長女、日本女子大學校出身
女 秀 明二六、一生
女 達子 明四二、七生、學習院女學部出身
記述部分(略伝)當家は先代省齋の立つる所なり省齋本姓黑岡初名謙二郞奧州三春の藩士なり江戸に出でゝ叔父奧御祐筆組頭竹村七左衞門に寄り安積艮齋の門に學ぶ後幕臣平山某の家を繼ぎ幕臣に列し累進して若年寄に至る省齋は其號なりしも後採て通稱となす
君實は竹村七左衞門の末男にして安政元年十一月を以て生れ先代省齋の養子となり明治元年家督を相續す佛語を學び同六年墺國大博覽會事務官として維也納に同十一年外務書記生兼巴里博覽會事務官として佛國に赴く爾來大藏書記官元老院書記官大藏大臣祕書官内閣書記官長樞密院書記官長大藏省官房長行政裁判所評定官宮中顧問官等に歷任し同二十七年貴族院議員に勅選せらる後樞院顧問官に親任せられ内大臣府御用掛を兼ね又日本赤十字社長に擧げられ餘力を育英事業に注ぎ前記諸學校の校長たり大正十三年勳功に依り華族に列し男爵を授けらる
長女溫(明二〇、一二生、學習院女學部出身)は侯爵小村欣一に四女房(同三〇、一生、出身校同上)は兵庫縣人法學士柳田健に五女信(同三六、一生、出身校同上)は山梨縣人神戸德太郞に六女道子(同三九、三生、出身校同上)は東京府人安田丈助に姪清(同一八、一生)は陸軍少將勝野正魚に嫁せり
住所・電話番号東京、小石川、原町三一 電小石川六七六
参照人物(親類)侯爵小村欣一、男爵鍋島陸郞勝野正魚三宅鑛一、※松村龍雄、※安田善助
参照次数6 (※なし4)
読みひらやま なりのぶ
別名
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